📆 育休サバイバル日誌

育休パパのリアル2ヶ月日誌|単調だけど、ここにしかない時間だった

育休に入って、気がつけば2ヶ月が経った。
誰かに誇れるような大きな成果はない。
毎日は同じことの繰り返しで、
外から見たら「なにやってるの?」って思われるかもしれない。

でも、この2ヶ月間――
赤ちゃんの表情が少しずつ変わっていくのを見ていた。
息子の涙や葛藤に寄り添いながら、お兄ちゃんになる過程を一緒に歩いた。
そして、妻の笑顔と健康を、隣で見守る時間を過ごしてきた。

これは、地味だけど確かに“自分の人生の一部”だった。
育休を取ったことで得られた時間と、そこに映った心の変化を、今ここに記しておきたい。

育休に入って2ヶ月。生活リズムは、静かに大きく変わった。

育休に入ってまず驚いたのは、自分の生活の「型」がまるごと変わったことだった。
いまは夜21時には消灯

赤ちゃんのベッドがリビングにあるため、テレビも照明も音も、すべてを落として静寂に包まれる夜。以前も息子と一緒に22時には寝ていたけれど、ここまで「生活を赤ちゃん中心に」切り替えたのは初めてだった。

そして何より、夜中に起きるという経験。

1人目のときは、正直あまり目を覚まさなかった。けれど今回は、妻と一緒に夜中起きることを選んだ。


完全な戦力になっているとは言えないけれど、「育休中の父親」という自覚を持つための、ある種の“パフォーマンス”のようなもの。それでも、真夜中の授乳やおむつ替えを一緒に経験することで、少しずつ「育休っぽさ」が体に染みついていく。


単調な日々。でも、それが悪いわけじゃない。

意外ときつかったのは、「毎日が同じ」の繰り返しになることだった。


朝は長男を保育園へ送り、そのあとは基本在宅。赤ちゃんのおむつ替えや、自分たちの食事の用意。特に大きなイベントもなく、ブログに気持ちを書き出すくらいが唯一のアウトプット。

でもその分、楽だったのはやっぱり――「仕事」から完全に解放されたこと。
ああ、自分の心に重くのしかかっていたのは、仕事だったんだな。そう気づいたとき、少し救われた。


保育園の「行ってらっしゃい」が、胸に刺さる日もある。

今までなら、息子を送った後の「行ってらっしゃい!」の一言が、
「さあ今日も仕事だ、がんばるぞ」って背中を押してくれる言葉だった。


でも今は違う。今は、自分だけが社会から一歩離れているような感覚を、その一言がふと突きつけてくる。

誰も責めてはいないし、自分が選んだ道だと分かっている。
それでも、少しだけ…少しだけ、後ろめたさを感じてしまう朝もある。

喜び、不安、そして感謝。感情の波を乗りこえて

赤ちゃんの変化が、心をゆっくりと癒してくれる

育休に入って2ヶ月。
日々の育児は単調に見えて、実はとんでもなくドラマチックだ。

赤ちゃんの髪が少し伸びた。爪が伸びていた。
ふと気づくと、ぎこちないながらも微笑んでいるような瞬間があった。
何気ないけれど、昨日と今日は確実に違う――その変化の積み重ねを、毎日この目で見ていられる幸せ。

「心がどんどん健やかになっていく」
そんな感覚に包まれる時間が、確かにある。


一方で、通帳の残高は着実に減っていく現実

感情の波は、喜びだけではない。
特に金銭面の不安と焦りは、思った以上に重たい。

妻は2月から産休に入っているが、まだ手当金は入っていない。僕も同じく。
今はリアルに収入ゼロでの生活。
頼れるのは貯蓄だけ。だけど、それも毎月24日の家賃引き落としでごっそり持っていかれる。
気がつけば、その日が近づくたびに、心がざわつく。
「早く入ってくれ、手当金……」
そう思いながら、通帳を何度も確認する日々。


「お兄ちゃん」という成長が、ほっとする瞬間をくれる

それでも、救われる場面もある。
長男が、少しずつ“お兄ちゃん”になっている姿。

赤ちゃんに何かするわけじゃない。
けれど、自分のことは自分でやろうと頑張っている。
保育園の準備も、身支度も、「できるよ」と自分から動くようになってきた。
もちろん、モチベーションの波はある。
でも、その変化を見ていると、家庭というチームの中で彼もちゃんと進化してるんだなと感じて、ちょっと安心する。


心が折れそうだった夜。支えてくれたのは、家族だった。

実は、赤ちゃんの誕生直後に妻が大量出血で再入院することがあった。
あの時は、本当に心が折れかけた。
それでも、「大丈夫」と言いながら、両親にすぐ来てもらった。

息子の相手や、家事や、気持ちの支え――
表には出さないけれど、とても大きな存在だった。
いざというとき、頼れる人がいるだけで、どれだけ救われるか。
育休を通して、家族のありがたさを身にしみて感じた。

夫婦で育てるということの、静かな豊かさ

役割分担は、むしろ“変わらない”からこそ安定していた

「役割分担は変わっていません」
そう言うと、ちょっと語弊があるのかもしれない。

赤ちゃんの授乳は妻。長男と遊ぶのは僕。
これは妊娠中から続いていた流れで、今もほとんど変わっていない。
でも実はこの“変わらなさ”こそが、僕たちにとっての安定だったのかもしれない。


喧嘩がない理由。それは余裕があるから

僕たちはもともと、結婚してから喧嘩が少ない方だと思う。
でも育休に入ってからは、さらにその回数が減った。

理由はシンプルで――余裕があるから。

赤ちゃん1人に対して、大人2人。
1人目のときには考えられなかった人手の贅沢さ
何より大きいのは、妻のメンタルが安定していること。

1人目のときは里帰り出産で、日中は両親が仕事。
実質、妻はワンオペで赤ちゃんを抱えていた。
でも今回は違う。僕が育休を取り、2人で育児にあたれることで、
「家族で赤ちゃんを見ている」という感覚そのものが、安心感になっているようだ。


こういう時間を「夫婦としていい時間」と呼びたい

赤ちゃんが夜もよく寝てくれるようになり、生活のリズムも整ってきた今、
ふとした瞬間に「いい時間だなあ」と感じることが増えた。

赤ちゃんが眠って、静かな部屋の中で並んで座っているとき。
お互いに言葉少なめでも、気持ちはちゃんと通っている。
「家族ってこういうことかもしれないな」と思えるような穏やかさ。


うまくいっている育休は、つまらなくない。

もしかすると、こういう話は「うまくいきすぎてて共感できない」と思われるかもしれない。
でも、これは奇跡ではない。準備と経験が生んだ、自然な成長の結果なんだと思う。

育休は確かに、大変なこともある。
だけど、それ以上に――静かに、豊かに、家族が育っていく時間でもある。
僕は今、それを味わえている。


「お兄ちゃん」になるという、人生最初の試練

赤ちゃん返りは、当たり前。でも、やっぱりつらい。

赤ちゃんが生まれて、真っ先に変化があったのは――息子の心だった。

保育園への行き渋り、急に食欲がなくなった日々、
そして感情を抑えきれずに泣きじゃくる夜。

これまで穏やかだった息子が、まるで心の嵐に巻き込まれているようだった。

でも今振り返ると、あれは**「お兄ちゃんになる」という人生最初の試練**だったのかもしれない。
それを必死に、自分なりに受け止めようとしていた。
そう思うと、あの涙も、抱きしめた夜も、すべて意味のある時間だったんだと思える。


育休を取っていたからこそ、すべての“もしも”に向き合えた

育休を取って本当によかったと思えたのは、
再入院という予期せぬ事態が起きたとき、仕事のことを一切考えずに済んだことだった。

もし通常勤務のままだったら――
「急な休みの連絡」「状況の説明」「周囲への配慮」
そんなことばかりが頭をよぎり、肝心の家族に全振りできなかったかもしれない。

でも今は違う。
自分のすべてを、家族のために使えた。
そして、息子の心のケアにも向き合えた。

……いや、正直に言うと、自分自身のケアはあまりできなかったけれど。


教育って、難しい。だから、悩みながら育てていく

赤ちゃんのお世話は、体力的にはしんどくても、ある程度の「やること」が明確だ。
おむつを替える、ミルクをあげる、寝かしつける。
でも、息子の教育――特に来年小学生になることを見据えた“育て”の部分には、
明確な正解がない。

この1年で、何を身につけておくべきなのか?
どこまでサポートして、どこから見守るべきなのか?
正直、わからないし、もどかしさだけが残る日もある。

言葉で伝えたからといって、すぐに変わるわけじゃない。
積み重ねしかない分、気長に向き合う覚悟がいる。
こればかりは、「自分には荷が重いな」と感じてしまう。

でもきっと、その重さこそが“親になる”ってことなのかもしれない。



「時間は、仕事のためだけじゃない」――価値観が少しずつ変わっていった

家族と過ごす時間は、ただの“余暇”じゃなかった

育休に入ってから、価値観は間違いなく変わった。
何より大きいのは――家族と過ごす時間は、人生においてものすごく大切だという実感。

これまで、家族と一緒に過ごす時間は「癒し」だったり「リフレッシュ」のように捉えていた。
でも今は違う。“中心”に来た。


仕事をしていなくても、時間はちゃんと進む

これまでの自分は、仕事をしていないと「何かを失っている」ような気持ちになるタイプだった。
でも育休を取ってみて、気づいた。

仕事をしていなくても、ちゃんと1日は過ぎていく。

赤ちゃんの笑顔、泣き声、寝顔――
そのすべてが、“分単位”“秒単位”で変化していく尊さを教えてくれた。

20歳を過ぎてから、自分はほとんど成長していない気がしていたのに、
赤ちゃんはまばたきしてる間に変わっていく。
この時間の価値に、今まで気づけなかったのはもったいなかったとすら思う。


働いていた頃の自分は、たぶん“赤ちゃんのリアル”を知らなかった

「育休を取った自分」と「働いていたときの自分」を比べると、
正直、見え方そのものは大きく変わったわけではない。

でも思う。
働いていた頃の自分は、赤ちゃんを間近で見る感覚がまるでなかった。
だから今みたいに、表情や仕草の一つひとつが何を意味するのかも分からなかった。
知らないまま通り過ぎていたことが、たくさんあったのかもしれない。


不安は尽きないけれど、希望のほうがきっと大きい

将来に対する不安は、正直言って山ほどある。

  • 仕事への復帰
  • 自分が老いていくこと
  • 子どもの成長に伴う出費
  • 生活費の増加…

考え出すとキリがない。
でも同時に、子どもたちの将来に希望を感じる瞬間も増えている。

そして今は、それをちゃんと**“希望”として見つめられている自分**がいる。
働いているときは、不安ばかりが頭の中を占めていた。
だけど育休を取って、「今、ここにある時間」に目を向けることで、
前よりもポジティブな未来を思い描けるようになった。

きっとそれは、“余裕”のおかげ。
そしてその余裕は、育休がくれた一番の贈り物なのかもしれない。


育休は、「育児」だけじゃない。「人生」を問われる時間だった。

育休を取って、一番よかったと思えたのは、
「育休」という言葉によって、社会が“許してくれた”ように感じた瞬間だった。

本当は子育てに集中したいのに、「仕事があるから」と断らなきゃいけない。
でも今は、そうじゃない。
「育休です」と言えば、それが免罪符のように働く。
その空気に、どれだけ救われたことか。


育休は、思っていたよりも地味で、思っていた以上に大切な時間だった。

リアルな育休生活は、正直、単調で退屈な日々の連続だ。
変わり映えのない生活に、「これでいいのかな」と不安になることもある。
でもその中で気づいた。
何も起きないことが、どれだけ尊いかということに。

  • 赤ちゃんの笑顔。
  • 妻の元気な顔。
  • 息子が健康で保育園から帰ってくること。


その平和が、心を少しずつ整えてくれる。


育休を迷っているあなたへ。「時間は、お金より価値がある」と伝えたい。

育休を取るかどうか悩んでいる理由が「お金」だとしたら、僕はこう言いたい。

時間は、お金以上の価値がある。

もちろん現実は甘くない。
我が家だって手当金はまだ入らず、貯金がどんどん減っていく恐怖もある。
でも、休む前に準備をすればいい。
副収入の道を考えるのもいい。
大事なのは、「迷ってる今」を、自分の力で越えることなんじゃないかと思う。


育休は、「お父さんには何もできない」と突きつけられる時間でもある。

育休を取っても、「自分には何もできない」と感じる父親もきっと多いと思う。
僕もそうだった。
結局、赤ちゃんにとっても息子にとっても、母親の存在には敵わない。

どれだけ頑張っても、そこにかなわない部分がある。
これはもう、前提として受け入れざるを得ない。

だからこそ、僕たち父親には**「縁の下の力持ち」という役割**があるんだと思う。
表舞台には立たなくても、家族の基盤を支える存在。
それは、見えにくいけれど、確かに大切な役割だ。


育休は、「何を得たか」ではなく「何に耐え、何を選んだか」で記憶に残る。

育休中、外に出て自由に遊びたい日もある。
仕事をしていないことに、引け目を感じることもある。
それでも――
この時間が、自分の人生にとって何だったのかは、きっとあとになって効いてくる。

育休は、
子どもを育てながら、自分自身も育て直される時間なのかもしれない。


🧩まとめ


育休は、「大変だった」「辛かった」という声が目立つけれど、
静かで、変化の少ない日々の中にこそ、大きな意味がある。

子どもが笑うこと
何もない平和な一日が終わること
それを「ありがたい」と思える心が、いつの間にか育っていた。

育休を取るという選択は、
働くこととは違う形で、“自分を鍛える時間”なのかもしれない。

これから育休を取る誰かに、
いま育休に向き合っている誰かに、
このささやかな記録が、ほんの少しでも届けばうれしい。


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