家を買うべきか、借りるべきか?
この問いに、僕はもう10年以上答えを出せずにいた。
賃貸は自由だけど、老後が不安。持ち家は安心だけど、縛られる気がする。
そしてついに、AIと本気で“住宅サバイバル論争”を始めた。
GPTと何万字もの対話を交わしながら、マンションの罠、賃貸の限界、生活保護の現実を掘り下げ、
最後にたどり着いたのは、「最強の家とは何か?」という問いだった。
賃貸か? 持ち家か?
…その答えを一緒に探してくれる人に、読んでほしい。
これは、人生の“住処”を問い直す物語。
そして、あなた自身の生き方に触れる記事です。
はじめに:家を持つことは、自由か、呪いか。
「家を買うべきか、それとも賃貸を続けるべきか。」
この問いは、人生の節目に何度も僕らの前に現れる。
結婚、子どもの誕生、転勤、介護、老後の不安。
そのたびに、不動産サイトと住宅ローン計算シミュレーターを交互に眺めて、何となく結論を先延ばしにしてきた。
でも、ふと思った。
この問い、実は“どこで暮らすか”の話じゃない。
“どう生き延びるか”の話なんじゃないか。
家を「資産」として見る人もいれば、「安心」として手に入れたい人もいる。
一方で、家を持たないことで「自由」を守ろうとする人もいる。
選び方を間違えたら、人生のレールごと詰む。
それくらい「住まい」は、静かに人生を左右している。
僕は、育休を取って家にこもるようになってから、
このテーマに妙にリアルな“ざわつき”を感じるようになった。
そんな時に、いつものようにChatGPTに話しかけてみた。
「ねぇ、賃貸と持ち家、どっちがいいと思う?」
軽い気持ちで投げたその一言から、僕とGPTの“住宅サバイバル論争”が再び始まった。
ちなみにこの問い、以前にも一度、ChatGPTとぶつかり合ったことがある。
「賃貸か持ち家か?」というテーマで、僕の価値観とAIのロジックが交錯した、
あの住宅論争の記事だ。
そこでは、「住めば都」という言葉に着地したものの、僕の中ではまだ“もやっとしたもの”が残っていた。
あれは、終わりじゃなく“序章”だったんだと思う。
今回はその続きを、もっと深く、もっと泥臭く、
家を持つことのリスクと覚悟、逃げ道の有無、そしてサバイバルとしての“住まい”を、問い直したい。
この文章は、GPTと僕の対話の記録であり、
迷路のような住宅論争の果てに、たどり着いた一つの答えである。
【第1章:持ち家という安心は幻想なのか】
「家を買えば、人生が落ち着く。」
この国では、そう教えられて育ってきた気がする。
将来の安心のためにマイホームを。
ローンは長いけど、完済すれば家賃がかからなくなるから老後も安心。
それが“家を持つことのメリット”として、ずっと語られてきた。
でも、その“安心”って、本当に保証されたものなんだろうか?
持ち家には、終わりがない。
買った瞬間に終わりじゃない。むしろ、そこから始まる。
家を持っているからこそ直面するリスクは、静かに家計を削っていく。
そして何より、それらのすべてが「自分の責任」になる。
僕がChatGPTに聞いた。
「賃貸と持ち家、どっちが安心だと思う?」
GPTはこう答えた。
「制度的には、ローン完済後の持ち家がやや有利です。住宅扶助は出ないけれど、住む場所を失わないという意味で精神的安定が得られます。」

いやいや、待てよ、とツッコミたくなる。
たしかに紙の上ではそうかもしれない。
でも現実の生活って、もっと泥臭くて、揺らぎだらけで、予想外だらけだろ?
持ち家を持ったあと、隣に変な人が引っ越してきたらどうする?
町内会で誰かと揉めたら?
地震でヒビが入ったけど修繕費が足りなかったら?
高齢になってリフォームもできず、ボロ家の中で凍えながら独りで死ぬしかないとしたら?
「住む場所がある」ことと、「安心して住める」ことは別問題なんだ。
そして、マンションであればなおさら厄介だ。
所有しているのに、何も自由じゃない。
それどころか、自分以外の誰かの“老い”や“財力”に縛られる世界。
それでもGPTは言う。
「条件がそろえば、持ち家は老後の不安を解消する拠点となります。」

条件がそろえば。
なんて残酷な前提なんだろう。
条件なんて、人生の途中でどんどん崩れていくじゃないか。
持ち家は「固定」だからこそ、人生の変化に柔軟に対応できない。
じゃあ、持ち家に“安心”なんてあるのか?
答えは、「持ち家を持っていることに安心を感じられる人だけが、安心できる」んだと思う。
つまり、安心というのは感情であって、物件の性能じゃない。
僕がこの章でたどり着いた仮説はこうだ。
持ち家=安心という公式は、社会がそう信じ込ませてきただけで、実際は“状況に依存する安心”にすぎない。
「家があるから安心」ではなく、「家を手放せる余裕があるから安心」なのかもしれない。
安心とは、持つことではなく、動ける余白を持っていること。
そう考えると、持ち家というのは本当に“ゴール”なんだろうか?
それとも、たまたまそこにたどり着いた、サバイバル途中の“仮拠点”に過ぎないのだろうか。
次章では、「じゃあ戸建てとマンションのどちらがまだマシなのか?」という話に踏み込んでいく。
【第2章:マンションの罠と戸建ての最終防衛力】

「駅近だから安心でしょ?」
「資産価値が落ちにくい」


「管理がしっかりしてる」
そうやって、マンション購入を正当化する声はよく聞く。
たしかに便利だ。都心に住める。管理も任せられる。見た目もカッコいい。
だけど、その“快適さ”の裏側にある罠を、どれだけの人がちゃんと見ているだろうか。
■「何も決められない家」に住むということ
マンションの最大の罠は、「自分ひとりじゃ何も決められない」ことだ。
例えば、大規模修繕。老朽化。建て替え。エレベーターの更新。
たとえ自分が「やろう」と思っても、住民の合意がなければ何も始まらない。
そして年々、その合意形成は難しくなっていく。
集合住宅は、全員が同じ方向を向かないと“沈む船”になる。
一人でも「いやです」と言う人がいれば、再建は先延ばし。
そのうち時間がたち、建物は傷み、気づけば幽霊マンションに。
■「大規模修繕」って何を直してるか、知ってる?
特に大規模修繕工事は、素人には「何やってるか見えない」のが最大の罠だ。
給排水管の交換、屋上防水のやり直し、壁の裏の配線や腐食対策…
どれも生活に直結しているのに、外から見えないから、費用をかける意義が伝わりにくい。
でも、それを後回しにした結果、水漏れが起きる。カビが出る。壁が崩れる。
「うちはまだ大丈夫」なんて感覚で先送りすれば、最後は“誰も住めない城”ができあがる。
■数千万の更新費用が発生する“静かな爆弾”
そしてもう一つ、あまり語られない“地雷”がある。
それが消防設備や、中央監視装置といった“命に関わるインフラ”だ。
火災報知器、スプリンクラー、非常放送、避難誘導灯、さらには全体を制御する監視盤。
古いマンションほど、これらは昭和設計の旧式設備で、部品も製造元もすでにない。
更改するとなれば、建物全体に配線を張り替え、法改正にも対応し、
数千万単位の費用が発生することもある。
でも、住民は知らない。普段は“正常に点灯してるだけ”に見えるから。
そのくせ「積立金、足りません」と言われたときだけ、クレームは飛ぶ。
■「建て替えられる」は「成功する」じゃない
たしかに最近は、「区分所有法」の改正で、建て替えの合意要件が緩和された。
でもそれって、“建て替えられるようになった”ってことじゃない。
“やろうと思えば、ちょっとやりやすくなった”程度。
実際には、建て替えに成功してるマンションなんて、ごくわずかだ。
立地も住民層も資金も恵まれた“勝ち組マンション”のレアケースで、
大半は「話し合いが進まないまま、建物が老いていく」のが現実だ。
■戸建ての“孤独な強さ”とは
一方、戸建てはどうだろう。
すべてが“自己完結”する。
もちろん、孤独だ。助けてくれる人はいない。
でも裏を返せば、「誰かに足を引っ張られない」自由がある。
そして、何よりも重要なのは、ローンを完済すれば「もう住み続けていい」が確定すること。
- たとえ年金生活になっても
- 収入がゼロになっても
- 子どもに頼らなくても
この地に建っている限り、自分の“終の住処”になる。
■マンションと戸建ての対比から見えるもの
マンション=協調性の城。
戸建て=孤独の砦。
どちらも完璧じゃない。
でも、日本が今後“壊れていく社会”になるとしたら、
“最後に籠城できる場所”を持っている方が強いんじゃないか。
僕は今、答えを探しているわけじゃない。
ただ、「この家を買えば安心です」と言い切れる時代じゃないということを、声に出しておきたいだけだ。
次章では、そんな“逃げ場のある暮らし”=賃貸が持つ「身軽さの武器」について掘り下げていく。
【第3章:賃貸という“逃げる力”とその代償】
「持ち家には縛られたくない。だから、賃貸がいい。」
僕もそう思っていた。
事実、賃貸には“逃げる力”がある。
トラブルがあれば引っ越せる。転勤も、離婚も、家族構成の変化も、全部に対応できる。
しがらみの少ない“気楽な家”――それが賃貸だ。
でも、この“逃げられる”という自由が、ある日突然、消える瞬間がある。
そしてそれは、たいてい老後にやってくる。
■「高齢者には貸せません」から始まる現実
今、ひとり暮らしの高齢者が家を探すと、
3件に1件は「年齢だけで断られる」とも言われている。
理由は簡単だ。
結果、不動産屋は“高齢者NG物件”を優先的に紹介し、
「ここなら貸してくれるかも」という場所すら限定される。
しかも、そもそも保証人が立てられない高齢者が多い。
家族がいない、関係が希薄、年齢的に保証人にもなれない。

じゃあ、保証会社を使えばいい?
保証会社だって、審査に通らない高齢者は普通に弾く。
収入が年金だけだったり、生活保護だったりすると、門前払いされることもある。
■法律は守ってくれるけど、貸してくれなきゃ意味がない
借地借家法は、たしかに“借主を守る法律”だ。
これは、賃貸暮らしの人にとっての“見えない防具”だ。
だから若いうちは、ある程度安心できる。
だけど、この盾には「借りられればの話」という前提がある。
最初の扉を開けてもらえなければ、法律も機能しない。
■退去通告=人生終了宣告、になることもある
老人の試練
- 老朽化による立ち退き。
- 家主の都合での建て替え。
- 更新の拒絶。
70歳を超えたある老人は、アパートの老朽化で立ち退きを求められた。
その人は、貯金もなければ、保証人もいなかった。
入居を受け入れてくれる物件はゼロ。
結局、行き場を失い、ネットカフェに泊まる日々が始まった。
あのとき、「あと5年早ければ、どうにかなったのに」と、ぽつりとこぼしたらしい。
■生活保護を受けていても、住める部屋がない
「困ったら生活保護がある」と思っている人もいる。
たしかに、住宅扶助として家賃は出る。
でも、その家賃で“住める家が見つかる”とは限らない。
不動産屋に行くと、こう言われる。
「あー、生活保護の方はちょっと…」
「うちのオーナーがNGなんですよ」
つまり、制度の中に守られていても、現場が受け入れてくれなければ意味がない。
まるで、「助ける準備は整ってるけど、助ける場所がありません」と言われているようなもの。
■そして最後に残るのは、“誰にも迷惑をかけない死に方”の探し方
持ち家なら、朽ちても、住み続けることはできる。
賃貸は、家賃が払えなくなったら「出ていってください」が待っている。
高齢で、収入がない、頼れる人もいない――
そんな状況で退去を迫られた人が、次に行く場所はどこだろう。
そして最後に訪れるのが、「ここで死ぬしかない」という場所。
賃貸は、自由だ。身軽だ。逃げられる。
たしかにそうだ。若いうちは、選択肢が多い。
でも、“逃げられる暮らし”は、“逃げられなくなった瞬間から地獄に変わる”。
借りたくても借りられない。保証もない。
高齢になって、収入が絶たれ、支援制度があっても住む部屋が見つからない。
「どこに住めばいいのか?」じゃない。
「もう、どこにも住めないのかもしれない」という恐怖。
これは、「自由の代償」がどこまで重くなっていくかの話だ。
僕らは今、“サバイバルできる暮らし”を選んでいるようで、
実は、“消耗していく暮らし”の中で、少しずつ追い詰められているのかもしれない。
第4章:生活保護と“住まい”の制度はかみ合っていない
「いざというときは、生活保護があるから」
そう思って、僕たちはどこかで安心している。仕事を失っても、家賃が払えなくなっても、最後は国が守ってくれるはず――と。
でも、実際にはその“守られ方”が、持ち家と賃貸でまるで違う。そしてその差は、知らないまま年を重ねてしまうには、あまりにも大きい。
■持ち家で生活保護を受けるということ
まず大前提として、生活保護を受ける=家を失う、ではない。
自分が住んでいる家が「居住用」であれば、持ち家であっても保護は受けられる。
ただし――そこには“静かな制限”がある。
つまり、「住み続けていいよ。でも、壊れても助けないからね」というスタンスだ。
さらにその家が資産価値を持っていると判断されれば、「売ってから来てください」と言われることもある。
■壊れても助けてもらえない家
住めているうちはいい。問題は、「壊れたとき」だ。
どれも日常生活に直結する設備だが、生活保護では原則「資産の維持」扱いになるため、自己負担。
もちろん、命に関わると判断された場合には、例外的に一時扶助や貸付で支援が出ることもある。
でも、
- 申請には事前の相談が必要
- 修理見積もりを取ってからの申請
- 「本当に必要か」の確認を受ける
というハードルを超えなければならない。
たとえばトイレ。壊れて使えない状態が続いても、
「公共トイレが近所にある」「親族宅が近い」と判断されれば、
「それでしのいでください」と言われることもある。
■賃貸で生活保護を受けるということ
一方、賃貸の人は住宅扶助を受けて家賃を支払える。
- 地域ごとに上限あり(例:東京23区で単身約5〜6万円)
- 敷金・礼金・引っ越し代も条件次第で一時支給
制度だけを見れば、賃貸の方が手厚く見える。
でも――住む家がなければ、この制度は発動できない。
「生活保護の方はちょっと…」
「うちのオーナーがNGで」
そんな理由で、不動産屋の門前払いを食らうのは日常茶飯事だ。
■制度があっても、社会がそれを受け入れない現実
生活保護という制度はある。
書類も出せる。要件も満たしている。
でも、その人を受け入れる家がない。
制度があっても、受け皿がない。権利があっても、行き先がない。
それはもう、「助ける仕組みの不完全さ」そのものだ。
■持ち家と賃貸、生活保護下での違いまとめ
観点 | 持ち家 | 賃貸 |
---|---|---|
生活保護の申請 | 可(ローンなし) | 可(上限あり) |
家賃補助 | なし | あり |
修繕費 | 自己負担 | 不要(大家負担) |
引っ越し支援 | 基本なし | 一部あり |
売却指導 | 可能性あり | なし |
入居ハードル | なし | 高め(審査・保証人) |
結論としては、
持ち家は、制度の中で“朽ちても住み続けられる”。
賃貸は、制度に“入れてもらえなければ住めない”。
■“最後の砦”の外にいる人たち
そしてもっと深刻なのは、すでに「住める家がない」人たちの存在だ。
住所不定、ネットカフェ生活、車中泊、ホームレス。
こうした状態から生活保護+住宅扶助を受けることも、原則は可能。
- 無料低額宿泊所(福祉シェルター)を仮の避難先に
- 福祉事務所が物件探しをサポート
- 一時的に生活保護を受け、部屋探しへ移行
でも、現実には:
- 役所の窓口で「住所がない」と断られる
- 精神的・身体的に申請まで辿り着けない
- 仮入所施設が劣悪で、通報レベルのケースも存在
支援制度は存在している。
でも、“社会との接点がすでに途切れてしまった人”には、それが届かない。
「助かる権利がある」のに、「助かる場所がない」
そんな矛盾のなかで、人知れず命が消えていく。
■生きられる家は、壊れても手放さなくていい家かもしれない
住宅というのは、ただの箱じゃない。
それが壊れたとき、失ったときに、誰が支えてくれるのか?
その仕組みがなければ、それは「安心」ではなく、「見せかけの安全」に過ぎない。
生活保護と住宅制度のズレを知ったいま、
持ち家か賃貸かという二択ではなく、
「壊れても、逃げられても、戻れる場所を持てるか」
それが本当の“住まいのサバイバル”なのかもしれない。
第5章:それでも今、家を買うという選択は正しいのか

「家を買うなんて、今どきリスクでしかない」
最近、そんな言葉をよく耳にする。ネットでも、動画でも、書籍でも―― あらゆるメディアが、「持ち家神話は終わった」と語る。
でも、じゃあ聞く。 “買わなかった人たちは、ほんとうに幸せなのか?”
前章まで、僕は徹底的に“住宅の底”を見た。マンションの限界、賃貸の崩壊、生活保護の不整合。 すべてを踏まえたうえで、もう一度GPTに問い直す。

「ねえGPT、それでもさ。やっぱり家、買った方がいいの?」
GPTは静かにこう言った。
「家を買うことが正しいかどうかは、その人が“何を守りたいか”によって決まります。」

■買うことでしか得られない“安定”がある
たとえば、
これは確かにある。 住宅ローンが完済されている持ち家は、生活保護でも“最強の砦”になる。
水道が出なくなっても、風呂が壊れても、トイレが詰まっても、 「誰にも文句を言われず、自分の家で死ねる」*いう意味では、持ち家には絶大な価値がある。
■でもそれは、“買ってからが地獄じゃない人”に限る
問題は、その家にたどり着くまでの20〜35年の住宅ローン。 金利上昇、収入減、教育費、家族トラブル、健康問題……。
「買ったのに、住み続けられなかった人」も大量にいる。
さらに、住宅は“売れると思って買ったのに売れなかった”ときが一番苦しい。
- 地方都市の空き家問題
- 土地の下落
- 建物の老朽化で解体費が逆にかかる
買えば安心、とは限らない。 買っても、“終わらせられない家”になってしまうこともある。
■家族の増減リスクは見落とされやすい地雷
家族は変わる。けれど、家は変わらない。
- 子どもが生まれて手狭になる
- 在宅勤務で個室が必要になる
- 親を引き取ることになってバリアフリーが必要になる
逆に、
- 離婚して片方が出ていく
- 子どもが巣立ち、空き部屋だらけになる
- 一人暮らしの親にとって階段すら命取りになる
“今の家族構成だけ”を前提にした家は、未来で不適合になる。
家族が変わっても、その家で生き延びられるか? それを想像できない家は、“資産”ではなく“重荷”になる。
■家が“出られない牢屋”になる夫婦関係
そしてもうひとつ、見落とされがちだけど深刻な問題がある。
“家という物理空間が、関係性の拘束具になってしまう”という現実だ。
たとえば、専業主婦の奥さんがいて、家の名義は夫。住宅ローンも夫の名義。収入も夫。
このとき、関係が壊れかけていても、 「出ていけない」「住む場所がない」「稼げない」 という理由で、関係を続けざるを得ない状況が生まれる。
表向きは“夫婦円満”。 でも内心では、 「私に稼ぎさえあれば、いつでも離婚する」 そんな言葉が奥底にこびりついているかもしれない。
家というのは、“守るための場所”であると同時に、 “出られない牢屋”にもなり得る。
■だからGPTは言った。「今の“買い方”が問われている」と
つまり、こういうことだ。
「家を買うな」とは言わない。 ただ、今は“買い方”を間違えると、家は“呪い”になる。
■GPTの結論:「防衛ラインを考えて買え」
この条件が揃っていれば、家は“住める場所”から“守れる場所”へと進化する。
■買うことは、攻めじゃなくて“籠城”だ
若いときの家選びって、どうしても「どこに住みたいか」ばかりに目が行く。 でも、社会が壊れていく今、選ぶべき家は違う。
- 最後まで住めるか?
- 直しながら維持できるか?
- 死んでも迷惑かけないか?
それを満たせるなら、たとえボロ家でも、それは最強の“防衛拠点”になる。
GPTは最後にこう言った。
“今、家を買う”という選択は、“どう生き残るか”という問いへのひとつの答えになり得ます。

僕はこの言葉を、前より少しだけ素直に受け入れられた気がした。 もう家を“夢”として見る年齢じゃない。 家は、これからの不安に備えるための“武器”であり、“避難所”なのかもしれない。
次章では、僕とGPTの“対話”の中で浮かび上がってきたこの結論―― 「最強の家は、逃げられる家か、籠城できる家か?」 そんな究極の問いに、もう一歩踏み込んでいく。
第6章:最強の家は、“逃げられる家”か“籠城できる家”か
ここまで読んできたあなたなら、もう気づいているかもしれない。
これはただの「賃貸 vs 持ち家」の話ではない。
もっと深い、“生き残る場所をどう選ぶか”というサバイバルの話だ。
そして今、いよいよ僕とGPTが向き合う最後の問いがこれだ。
最強の家って、逃げられる家なのか? それとも、籠城できる家なのか?
僕たちはこの問いに、正面から答えてみることにした。
■逃げられる家(=賃貸)の強さ
逃げられる家の最大の武器は、「可動性」。
- 災害が起きたら、別の場所へ逃げられる
- 近隣トラブルも引っ越しでリセットできる
- 家族構成、収入、職場…あらゆる変化に合わせて移動できる
この“身軽さ”は、変化が激しい今の時代では明らかな強みだ。
問題が起きたとき、「出ていける」という選択肢がある。 それは、“逃げる”のではなく、“生き延びる”ための戦術だ。
加えて、修繕や管理といったコストや負担を負わずに済む点でも、賃貸は圧倒的にラク。
しかも、失敗してもやり直しが利く。これはとても現代的なライフスタイルにマッチしている。
■籠城できる家(=持ち家)の強さ
一方で、持ち家の最大の魅力は、「根を張れること」。
- 一度ローンを完済すれば、住み続けることに費用がかからない
- 年を重ねても、「出ていけ」と言われることはない
- 子どもや家族に「帰る場所」を残せる
住む場所が保証されている。それは“未来に向けた安心”だ。
さらに、社会的信用や資産形成という面では、持ち家のほうが有利な場面も多い。 生活保護制度との相性や、老後の住まい不安を緩和する「最後の砦」としての機能は、持ち家ならではの強みだ。
■じゃあ最強の家はどっちだ?GPTに問う
僕はGPTに尋ねた。
「結局、どっちの家が最強なんだ?お前なら、どう答える?」
GPTはしばらくの沈黙のあと、こう返してきた。
「“最強の家”とは、その人が“生き延びられる形”で暮らせる家です。」

■最終比較:生き残り力で見る「逃げる家」と「籠城する家」
観点 | 逃げられる家(賃貸) | 籠城できる家(持ち家) |
---|---|---|
自由度 | ◎ | △ |
安心感 | △ | ◎ |
コスト可変性 | ◎ | △ |
修繕/管理責任 | ◎(オーナー) | △(自分) |
社会的信用 | △ | ◎ |
老後対応力 | △ | ◎ |
転機・災害対応 | ◎ | △ |
精神的安定感 | △ | ◎(所有による) |
■答えの本質:「最強の家」=「自分が戦える拠点」
この比較を経て、僕の中でハッキリしたことがある。
最強の家に、共通する条件はたったひとつ。
「自分が、自分らしく、生き延びられるかどうか」 だ。
その人が逃げて生きるタイプなら、逃げられる家が最強だ。
逆に、粘って守り抜くタイプなら、籠城できる家が最強。
家は武器じゃない。家は“戦い方に合わせた防具”なんだ。
だから、周りの声に惑わされる必要なんてない。
答えは、「自分がどんな戦い方をするか」の中にしかないんだ。
■僕たちの答え:それでも、今この場所で生きる
正直、この議論に“正解”はない。 でも、問い続けた意味はあった。
- 揺れているからこそ、考えた
- 不安だからこそ、調べた
- 決めきれないからこそ、ここまで来た
その全部が、「今、生きてる証拠」だ。
GPTはこう言った。
「あなたの選んだ家は、“あなたが生きようとした証”として、すでに正解に近いものかもしれません。」

僕はその言葉を、少しだけ誇らしい気持ちで受け止めた。
“逃げられる家”か、“籠城できる家”か。
その問いの結論は、「自分がどう生き残るか」にかかっている。
そしてその選択が、今の自分を支えているのなら。
それが、僕にとっての「最強の家」だ。
次は、あなたの番だ。
あなたにとっての“最強の家”は、どんな家ですか?