📝【はじめに】
「家は買った方がいいのか、それとも借りたままでいいのか?」
この問いは、家族ができたとき、子どもが生まれたとき、あるいはローン減税や不動産広告が気になりだしたとき――誰しも一度はぶつかる問いだと思います。僕自身も、例外ではありませんでした。
ただ、僕には少しだけ特殊な背景があります。
宅建士、FP2級、簿記3級。学生時代から「仕組み」を学び、「数字で裏をとる」習慣が自然と身についた結果、世間で語られる“持ち家の魅力”や“不動産は資産になる”という話に、どうしても乗り切れなかったのです。
そこにさらに登場したのが、ChatGPT。
僕はこのAIと、何度も何度も、「賃貸と持ち家、どちらが本当に合理的なのか?」を論破合戦のように繰り返しました。金銭面、制度面、老後の安全保障、感情的な価値、さらには“住めば都”という哲学的な問いまで。
この記事は、そのすべての対話と思考の記録です。
決して、「賃貸が正解」と言い切るつもりもありません。
ただし、持ち家が“唯一の正解”ではないことも、声を大にして伝えたい。
AIと人間の対話を通じて浮かび上がった「住まいを持たないという選択」の意味――
今から、その全容をお話しします。
📝【② 賃貸か持ち家か?世間のよくある論争】
「持ち家と賃貸、どっちが得か?」
このテーマに関して、ネットや雑誌、YouTubeまで、あらゆる場所で“正解”が語られています。
🔹よくある「持ち家派」の主張
🔹よくある「賃貸派」の主張
ここまで読むと、「なるほど、一長一短だね」と思う人も多いはず。
でも、僕はどうしてもこの論争に、うっすらした違和感を覚えていました。
🔸その違和感の正体
それは、両者の議論が表面的な“支出比較”や“損得感情”の上に乗っかっているということ。
数字や制度、人生設計を本気で読み解く目線ではなく、なんとなくの感覚や営業トークの受け売りで語られている場面が非常に多かったのです。
たとえば、
- 「家賃を払っても何も残らない」と言われるけど、ローン返済の大半は利息だったりする
- 「ローン完済後は楽になる」と言われるけど、そこからが家の本当の維持コスト地獄だったりする
- 「家は資産」と言われるけど、築30年の家を子どもが欲しいと思うか?
🔸“損得の表”に載らない、本当の論点
こうした問いに答えようとする議論は、驚くほど少ない。
だから僕は、自分の頭で考え、自分の言葉で言語化してみることにしたんです。
その過程で出会ったのが、ChatGPTでした。
このあと、僕とChatGPTの間で繰り広げられた論破合戦が始まります。
でもその前に、まずは僕が「なぜ世の中の論調に疑問を持つようになったのか」を、専門知識の視点からお話しさせてください。
📝【③ 宅建・FP・簿記で見えた「構造の違和感」】
僕は学生時代から、「世の中の仕組み」を知るのが好きだった。
宅建士、FP2級、簿記3級。
資格試験を通じて学んだのは、“専門知識”というよりも、むしろ「世の中の裏側は、だいたい誰かが得するようにできている」という事実だった。
それは、住宅にもそっくりそのまま当てはまる。
🔹【宅建士目線】不動産は「資産」ではなく「流動性の低い商品」
不動産業界にいると、よく耳にする言葉がある。
「家は資産ですよ。払っても何も残らない家賃より、ローンを返して“自分のもの”にしましょう」
でもこの言葉、宅建士の勉強をした人間からすれば、半分嘘で、半分営業トークだとすぐにわかる。
なぜなら…
つまり、「家を買わせる」構造そのものが、業界側に都合がいい仕組みになっている。
家を「資産」として語るのは、“売るための言葉”。
でも実態は、流動性が低く、維持コストがかかり、出口戦略に困る“扱いづらい不動産”だ。
🔹【FP目線】持ち家にまつわる制度は「優遇」じゃなく「課税ありきの補填」
ファイナンシャルプランナーの視点から見ると、持ち家関連の制度って一見お得に見える。
だけどこれ全部、“そもそも課税する前提”で作られてる。
本来、住む場所に消費税や附帯税をかけてることのほうが異常なんじゃないの?と気づく。
優遇されてるように見えるのは、「重税に対してほんの一部だけ返す」からに過ぎない。
住宅ローン控除なんて、借金しなきゃ得られない制度だ。冷静に考えたら、変だよね。
とはいえ――ここにはひとつ、例外がある。
🔸逆ザヤ運用できた「超低金利時代」の住宅ローン控除
たとえば、住宅ローン金利が0.5%前後で借りられた時代(2020年ごろ)、
控除額(1.0%)のほうが支払う金利よりも大きくなる「逆ザヤ状態」が起きていた。
これはつまり、
借りたら借りた分だけ、国からキャッシュバックされる
→ 実質的に“金利がマイナス”という超特殊な状況だった。
この時代に限って言えば、借金=リターンという極めて合理的な制度活用が可能だったわけで、
僕も「これをうまく使い倒すために家を買う」というロジックには正直、納得感があった。
ただし、それは金融市場の超異常値に乗じたレバレッジ戦略にすぎず、
制度そのものの健全性や普遍性を証明するものではない。
だからこそ、住宅ローン控除を“国がくれるボーナス”のように捉える風潮には、強く疑問が残る。
制度とは、常に誰かにとって都合よく設計されている。
その仕組みを見抜いた上で利用するのはOKだ。
でも、「制度がある=家を買うべき理由になる」という流れは、どう考えても論理が飛躍している。
🔹【簿記目線】“家を持つ”は「資産」ではなく「重い固定費」
簿記の視点で言えば、家を買うというのは、「高額な資産を購入し、長期的な費用(減価償却)と責任を背負い続けること」だ。
「買えば自分のものになる」というのは、あくまで法的な所有の話であって、キャッシュフロー上は負債とランニングコストの塊。
そして何より大きいのは、「自分で逃げられない」という圧倒的な重さ。
🔸「仕組みを知ると、買う気が失せた」
知識が増えれば増えるほど、「持ち家の得」という言葉に、根拠を感じなくなっていった。
もちろん、家を買うこと自体を否定するつもりはない。
でも、“自分にとっての最適解”として持ち家を選ぶのと、“社会の空気や親の圧で買う”のとでは、まったく意味が違う。
僕は、後者のレールには乗らなかった。
そして、ここから「じゃあ賃貸はどうなんだ?」という問いに移っていく。
AIと本気で向き合いながら、損得だけじゃない「住まいの本質」に、踏み込んでいく時間の始まりです。
🧠【第4章:GPTとの論破合戦(前編)|金銭・制度・老後の真実】
ChatGPTに「賃貸と持ち家、どちらが合理的か?」と聞いたとき、
返ってきた答えはこうだった。
GPT:「人生トータルで見ると、やや持ち家のほうが有利です」

その瞬間、僕は思った。

「お前もそっち側かよ」と(笑)。
でも、AIがそう言うなら、本気でやり合ってみよう。
ここから始まった、正面からの論破合戦。
まずは、王道の金銭論から。
🔹ROUND 1:ローン完済後は楽になる?
GPT:「持ち家はローン完済後、住居費が大幅に軽減されるのが強みです」

よく聞く論理だ。
でも、それって表面的な家賃とローン返済の比較でしかない。
僕はこう返した。

僕:「それ、支出が“ゼロ”になるわけじゃないよね?固定資産税も保険も修繕費もかかるでしょ?」

僕:「戸建てなら屋根・外壁・水回り、マンションなら管理費と修繕積立。ローン終わったら、“持ち家メンテ地獄”が始まるのよ」
GPTは黙らない。
GPT:「それでも賃貸の家賃よりは安く済む傾向があります。老後の安定した支出という意味では有利です」

そう、それが正論なのはわかってる。
でも、僕はこう返す。

僕:「賃貸の家賃って、住む場所とサイズを変えれば調整できるよ。老後に月5万のURに住むという選択肢もある」

僕:「持ち家は“下げよう”と思っても簡単にできない。引っ越すには売却という壁がある」
つまり、“支出を下げられる”という自由を持つ賃貸と、“支出が下がるように見えて実は逃げられない”持ち家。
同じ「出費」でも、その性質が違うのだ。
🔹ROUND 2:家は資産になる?
GPT:「持ち家は資産として残ります。賃貸は支払った分が何も残りません」

ここでも定番の論理。
でも、僕の目線は違う。

僕:「築30年の家、残されて子どもは本当に嬉しいか?」

僕:「相続して、解体して、草むしりして、税金払い続ける未来を、子どもは“資産”だと思うかな?」
GPT、再び食い下がる。
GPT:「土地は資産価値が維持されやすく、将来的に売却や賃貸として活用できます」


僕:「それ、“好立地”に限るでしょ。地方都市の駅徒歩25分の土地、誰が欲しがるの?」
「資産になる」と言えるのは、“売れる場所”“貸せる状態”という条件が整ったときだけ。
家は資産であると同時に、“使い切れなかったときに残る重荷”にもなりうる。
🔹ROUND 3:老後のリスクは賃貸のほうが高い?
GPT:「高齢者になると、賃貸は入居審査が厳しくなり、住み替えが難しくなるリスクがあります」

これはある意味、最大の正論だった。
でも、僕はこう返す。

僕:「たしかに、賃貸は高齢者に貸し渋られる現実がある。でも、URや高齢者向け住宅、公営住宅の選択肢もある」

僕:「そして最悪、老人ホームという選択もある。持ち家があると、売っても空き家問題・相続トラブルになるリスクもある」
要するに、老後の“住む場所問題”はどっちもリスクがある。
でも賃貸は、動ける分だけ“解決可能なリスク”であるのに対し、
持ち家は、“残り続けるリスク”になりがちだ。
🔹ROUND 4:家賃は一生続く?
GPT:「賃貸は支出が永遠に続きます。これは老後にとって大きな負担になります」

たしかにこれは揺るぎない事実。
でも、その“続く支出”がコントロールできることが賃貸の本質だ。

僕:「月10万のまま老後を迎えるわけじゃない。5万の部屋に引っ越す自由が、賃貸最大の強み」

僕:「一方で、持ち家の支出って“確実に続く上に逃げられない”ってこと、案外みんな見ないんだよね」
ここでようやく、GPTが少しトーンを変えた。
GPT:「たしかに、賃貸の支出は変動可能性があり、住み替えによって負担を下げられる柔軟性は強みです」

勝負の前半戦はここまで。
次回は、さらに踏み込んで、人間の欲望・見栄・安心感といった感情面のぶつかり合いが始まる。
なぜ人は家を欲しがるのか?
その問いに切り込む後半戦へ、続きます――
🧠【第5章:GPTとの論破合戦(後編)|見栄・感情・哲学編】
論破合戦は、いよいよ本丸へ。
数値や制度の正しさはもちろん大事だ。
でも、それだけじゃ人は家を買わないし、逆に言えばそれだけで家を持たないことも決められない。
ここからは、“人間っぽさ”に突っ込む戦いだった。
🔹ROUND 5:やっぱり「家がある」って安心じゃない?
GPT:「家があるというのは、“生きていく場所”が確保されている安心感をもたらします」

これはある意味、一番“正しいようで危うい”主張だった。

僕:「でも、その安心って、本当に“家そのもの”が与えてるのかな?」

僕:「安心感って、住宅ローンの残高が減っていくことじゃなくて、“今の暮らしに納得してるか”なんじゃないの?」
家を持ったことで安心する人もいれば、逆に「もう引っ越せない」「失業できない」とプレッシャーに感じる人もいる。
安心って、固定資産じゃなくて、心の流動性のほうが大事なんじゃないか――そんな違和感がずっとあった。
🔹ROUND 6:「家を買う」は大人としての“通過儀礼”?

GPT:「多くの人が、結婚や出産など人生の節目で持ち家を検討するのは、家族としての基盤を築くという文化的価値観の表れでもあります」
この時点で、GPTは完全に“人間の社会意識”に寄ってきていた。
でも僕は、そこにも反発した。

僕:「“家を買う=一人前”って感覚がまだ残ってるのは、前世代の価値観の残像じゃない?」

僕:「今はサブスクもシェアリングも当たり前の時代。むしろ“所有”から距離を取るほうが自由なんじゃないの?」
結局のところ、家を買う動機には、社会に馴染むための見えない圧がある。
「家を買った」って言うだけで“ちゃんとしてる人”扱いされる。
「まだ賃貸なんだ」って言うと、どこか“仮暮らし”感がつきまとう。
でも、そんな誰かの尺度で家を買うなんて、人生の選択として弱すぎると思った。
🔹ROUND 7:持ち家にしかない“家族の物語”がある?
GPT:「持ち家は、家族の記憶が積み重なる場所としての情緒的価値があります。子どもの成長や家族の思い出が、壁や空間に宿っていきます」

これは正直、GPTにしては熱すぎる意見だった(笑)。
でもちょっとグッときたのも事実。

僕:「たしかに、それは賃貸にはない感覚かもしれない」

僕:「でも、“住まいに思い出を刻む”って、家じゃなくてもできるんだよ」
家の記憶は、床のキズとかじゃない。
子どもと歩いた帰り道、夫婦で夜中に食べたラーメン、週末に飛ばした模型飛行機。
それを“都”にするかどうかは、建物じゃなくて、誰と何を過ごしたかだ。
🔹ROUND 8:それでも、家って欲しくならない?
ここでGPTが最後に放ったのが、まさかの問い返しだった。
GPT:「あなたは、家を持ちたいと思ったことが、本当に一度もありませんか?」

僕は、しばらく黙ってからこう答えた。

僕:「たしかに、いいなと思う瞬間はある。庭付き一軒家で、家族でBBQとかさ」

僕:「でもそのあと必ず思い浮かぶんだよ。“片付けめんどくさそう”って(笑)」
僕は人を招くのが好きなタイプじゃないし、
“家を買った”って言ったくらいで見る目が変わるような人と付き合いたくない。
「欲しい」より先に、「自由でいたい」が来る。
だから僕は、こう結論づけた。

「たしかに、家には魔力がある。でも、それに引っ張られたくはない」
論破合戦の後半は、もはや“勝ち負け”ではなく、自分にとって何が本質か?という問いとの対話になっていた。
数値だけでは測れない。
でも、感情だけで選んでも危うい。
そのあいだで揺れながら、自分の答えを見つけていくしかない。
このあとGPTは、最後の主張を持ち出してきた。
「それでも、持ち家は“やや有利”だと私は考えます」

次の章では、そのGPTの最終見解を受け止めて、僕なりに決着をつける。
【⑥ それでもGPTが「やや有利」と言う理由】
論破合戦を終えて、僕自身の中に「やっぱり賃貸でいいじゃん」という確信は強くなった。
でも、ChatGPTは最後まで譲らなかった。
GPT:「やはり、人生トータルでは“持ち家の方がやや有利”と私は考えます」

この言葉には、ちゃんと理由がある。 そして、その理由は論理的に見れば一貫している。
だから僕は、ちゃんと向き合うことにした。
🔹理由①:「支払いが終わる」ことの構造的な強さ
GPTが一番重視していたのは、ここだった。
GPT:「持ち家はローン完済後、住居費が劇的に下がります。賃貸ではその支出が一生続きます」

たしかに、これは反論が難しい。 賃貸は、いくらダウンサイジングできるとはいえ、“ゼロになることはない”。 一方、持ち家は完済さえすれば、固定資産税・保険・修繕費を入れても、月数万円で済む可能性がある。
特に人生100年時代、80代〜90代になっても家賃を払い続けることの重みは、決して軽くはない。
この“支出が止まる構造”は、GPT的にはどうしても無視できないポイントだった。
🔹理由②:制度的にも「持ち家に住む人」が有利にできている
税制・保険・補助金――あらゆる制度は、持ち家が基本設計。
国の制度そのものが、「家を買う人」が“得する前提”で作られている。 これは完全に構造的な話だ。
賃貸の人が何をどれだけ工夫しても、ここで差はつく。
GPTはこれを、「社会的バイアスの構造的優位性」として見ていた。
🔹理由③:物価上昇・インフレ時代の“保険”になる
GPTが最後に語ったのが、「インフレリスク」に対する持ち家の効力だった。
GPT:「物価が上がっても、持ち家は“家賃が上がらない”という点で、コストを固定化できる価値があります」

これはまさに、「住まいを資産ではなく“価格固定ツール”として持つ」という視点。
確かに、将来家賃がどんどん上がった場合、ローンを完済した持ち家は圧倒的に安定している。
しかも、住宅ローンは“人生最大の低金利借入”であり、 これを使えるうちに使っておいた人は、長期的に得をしていることもある。
GPTの主張は、「今の自由」ではなく「老後の安定」「長期のトータルコスト」で持ち家を推している、ということだった。
🔸僕の視点:「確かに、でも…それは“構造の中に従う選択”でもある」
GPTの言い分は、どれも正論だ。 構造的に、社会的に、論理的に、持ち家は「お得にできている」。
でも、それこそが僕の違和感の正体でもある。

「最初から“持ち家を持つ人”が得をする仕組みにしてあるなら、それに乗るしかない、っておかしくない?」
優遇があるのは、最初に“税金をかけてる”からだし、 安心があるのは、「もう引き返せない人」がそれを必要としてるだけじゃないか?
制度に合わせるのではなく、 制度の外から、自分の人生設計を選び取っていくことにこそ、自由がある。
僕はそれを、AIとの対話で学んだ。
📝【第7章:最終結論|住めば都とは何か】
「住めば都」――
この言葉は、持ち家か賃貸かという論争を、一言でふっと吹き飛ばす力を持っている。
どんなに不便でも、どんなにボロくても、
暮らしていれば、そこが自分にとっての“都”になる。
逆に、どんなに立派な家でも、心が落ち着かなければ、それはただの箱だ。
僕は、GPTと何十ラウンドも論破を交わしてきた。
数字で勝ち、制度で反論し、感情をぶつけ合い、
最後に残ったのが、この一言だった。

「結局、住めば都じゃないの?」
この言葉にたどり着いたとき、不思議とすべてが腑に落ちた。
賃貸か持ち家か、それは手段にすぎない。
問題は、どちらを選んでも、その場所を“都”にできるかどうか。
🔹都を作るのは、家じゃない。生き方だ。
住む場所は、ただのハコ。
そこにどんな時間を流し、誰と何を共有するか。
それが“都”になるかどうかを決める。
賃貸でも、子どもと風呂でふざけた時間は残るし、
ボロいキッチンでも、夫婦で並んで作った餃子の記憶は宝物になる。
僕は、「どこに住むか」ではなく、「どう生きるか」で場所の意味が変わることを、
日々の暮らしの中で実感している。
🔹“持たない自由”は、“逃げない覚悟”とセット
僕は「家を持たない」という選択をした。
でもそれは、何もかもから逃げたわけじゃない。
むしろ、自分で選び、自分で責任を持って生きていくための選択だった。
家というシェルターに安心を委ねるのではなく、
自分の手で、“どこにいても居場所を作る力”を選んだ。
それが、僕にとっての“都”だ。
🔹他人の正解じゃなく、自分の納得を生きる時代へ
時代は変わった。
昭和のような「家を買って一人前」なんて時代じゃない。
今は、サブスクも、シェアも、転職も、移住も、離婚さえも、
“動けること”が新しい自由になった。
だからこそ、僕はこう言いたい。

「家を持たない生き方」は、未来に開かれた選択だと。
【第8章:おわりに|家を持たないという思想】
賃貸か持ち家か――
このテーマを語るのは、一見すると「お金の話」のように見えるかもしれない。
けれど僕にとって、それは**「どう生きたいか」**という問いそのものだった。
家を買うことは、きっと悪いことじゃない。
むしろ、うまく買えば得になるし、精神的な安定をくれることもあるだろう。
住宅ローンを逆ザヤで活用して、資産を膨らませた人だっている。
でも、僕は違う道を選んだ。
**「家を持たないことで、自分の生き方を自分で決められる状態」**を残しておきたかった。
僕にとっての賃貸は、「不安定な仮住まい」なんかじゃない。
むしろ、**“どこでも都にできる力を信じる生き方”**だった。
きっとこれからも、「家を買わないの?」と聞かれることはある。
「子どもがかわいそうだよ」「老後どうするの?」と、心配されることもあるだろう。
でもそのたびに、こう思う。
「僕は、“持っていないこと”で人生を守っている」
「僕は、“持たないこと”で人生を動かせるようにしている」
暮らしは、所有で測れるものじゃない。
「壁の色」「床の材質」「間取り」じゃない。
どんな時間を、どんな人と、どんな気持ちで重ねたか。
それが、僕にとっての“住まい”なんだと思う。
この長い記事をここまで読んでくれたあなたが、
もし今、家を買うかどうかで悩んでいるなら――
僕から伝えたいのは、正解は外側にはないということだ。
親がどう言うかでもない。
世間がどう見るかでもない。
GPTがどう答えるかでもない。
あなたが「これでいい」と思える場所を、あなた自身が“都”にしていくこと。
その選択には、家を買ってもしなくても、同じくらいの尊さがある。
僕は、持ち家の正解を否定しない。
でも、「持たないという生き方」もまた、
一つのまっすぐな選択肢として、声を大にして肯定したい。
それが、この長い旅路の終わりに、僕が伝えたかったことです。
【おまけ:うちの会社、住宅手当で結局“賃貸勝ち”してる件】
ここまで、かなり真面目に「家を持たないという思想」について語ってきました。
「都は、自分の心で決めるものだ」
「持たないことで自由を得るんだ」
そんな熱量で書き切ったわけですけど――
……ちょっとだけ、最後に超現実的な話をしてもいいですか?
うちの会社、賃貸だと月2万7千円の住宅手当が出るんです。
でも、持ち家だと6千円しか出ません。
…差、2万1千円。
年間で25万2千円、
10年で252万円。
……………。
これ、賃貸の方がシンプルにお金もらえてるやん。
厚生労働省の「就労条件総合調査」や各種転職サイトのデータでも、
多くの企業が「賃貸に手厚く、持ち家には渋め」な傾向があることが確認されています。
たとえば、東京都産業労働局の調査では、
- 賃貸の住宅手当:約20,929円
- 持ち家:約16,997円
という差が出ている。
これってつまり、企業制度レベルでも、
「持ち家を持たない人=身軽な人」にお金を多く出す構造があるってこと。
というわけで――
あれこれ考えた末に、感情・思想・哲学と積み上げてきたけれど……
最後に一言だけ、こう言わせてください。
「家、持ってない方が手取り多かったわ。」
……それも、ひとつの真実でした(笑)
※あとがきにかえて
この記事は、AI(ChatGPT)と何十回もの対話を重ねながら、
自分の中にあった価値観や疑問を、ひとつひとつ言葉にしていく過程で生まれました。
「家を買うべきか?」なんて問いは、
正解があるようで、たぶん誰にも決められないものです。
だからこそ、“GPTはこう言った”“僕はこう考えた”という形で、
自分自身の思考の流れを正直に書いてみたかった。
今この瞬間の僕は、「賃貸でいい」と思っています。
でももしかしたら10年後、気持ちが変わってるかもしれない。
それもまた、人間らしくていいな、と思えるようになりました。
ここまで長い文章に付き合ってくれたあなたへ。
読んでくれて、本当にありがとうございました。
あなたが選ぶ場所が、
あなたにとっての“都”になりますように。