📆 育休サバイバル日誌

“父親の産後うつ”が話題らしいけど、俺たちの現実はもっと地味だ

Yahooニュースをぼーっと眺めていたら、「父親の産後うつ」が話題になっている記事が出てきた。

出典:Yahoo!ニュース(2025年5月掲載)

正直、ちょっとドキッとした。
というのも、なんとなく“自分のことを見透かされた”ような気がしたからだ。

この数日、明らかに体調がおかしかった。
朝起きた瞬間から首が痛くて、気づけば後頭部までズキズキしていた。
ただの寝違えだと思っていたのに、日を追うごとに痛みが広がって、頭痛にまでなっていく。
医者に行けば「神経痛かもしれませんね」と言われたけど、原因がはっきりするわけでもなく、モヤモヤだけが残った。

でも、気持ちは落ち込んでるわけじゃない。
涙が出るわけでもないし、「もう無理だ」と思ったこともない。
むしろ、子どもたちとの生活は充実している。
夜泣きも少なくなってきたし、上の子も毎日元気だ。

なのに、なぜか身体が悲鳴を上げてる。


痛みのある、ただの一日

朝、目を覚ました瞬間にズキッとくる首の痛み。
その一発で、何もかもが萎えていく。

息子を保育園に送る時間。
エンジンをかけた瞬間、頭の奥がズーンと重い。
運転中も首がつっぱって、右を向くのが地味につらい。
ロキソニンを飲んで、なんとかやりすごす。

帰宅したら、赤ちゃんのオムツ替え。
寝かせて、すぐまた泣いて、また抱っこして。
ようやく静かになったスキマ時間で、少しだけパソコンを開く。
ブログを書いて、ふっと一息ついたと思ったら、また赤ちゃんの泣き声。

あっという間に午後が過ぎていく。
もうお迎えの時間か、と思いながら、痛み止めが切れかけた首筋を揉む。
迎えに行って、夕飯を用意して、お風呂に入れて、
一日が終わる。

ずっと、痛い。
でも、動かなきゃいけない。
“今日は休もう”ができない。
育児って、誰かに休憩をもらえるわけじゃない。

幸せなはずなのに、ずっとどこかに鈍い痛みがある。
これが、今の俺の日常だ。


フィットする人、しない人。だから運なのかもしれない

育休を取って、家にいる日々。
首が痛くても、赤ちゃんが泣いても、保育園のお迎えがあっても、日常は変わらずやってくる。

それが苦にならない人も、きっといる。
変わらない日常を積み重ねることに、安心を感じる人もいるだろう。
「同じ毎日」が苦手な人にとっては、これが地味にしんどい。

奥さんや赤ちゃんが大変な状況なら、
“自分がなんとかしなきゃ”ってスイッチが入る人もいれば、
その重さに根負けしてしまう人もいる。

「頑張れる状況」も「頑張れる自分」も、
ぜんぶがたまたまの組み合わせでできている。

だから、父親の産後うつって“運”なのかもしれないな、って思った。

状況も、自分の気質も、家族の状態も、職場の空気も、
どれかひとつがうまく噛み合わなかったら、
静かに、でも確実に、身体が壊れていく。

そして周りは、「そんなに大変じゃなさそうなのにね」って思ってるかもしれない。
でも本人は、「自分だけが合ってないのかも」って思ってる。

そういうのを、ただ“運が悪かった”としか言えないのが、ちょっと切ないよな。


それでも、心は死んでない

そんなふうに、ただただ続いていく日々のなかで、
ときどき「これは俺には合ってないのかも」と思う瞬間もある。
運なのかもしれない、って少し投げやりになる日もある。

でも、それでも。

僕は――心は死んでない。

息子も、可愛い。
赤ちゃんも、めちゃくちゃ可愛い。
妻も、出産で緊急入院して大変だったけど、今は元気になって、
毎日、笑顔で一緒に過ごせている。

首が痛くて、後頭部がズキズキして、目覚めがしんどくても、
この時間の中にいられることを、ちゃんと「幸せだな」って思えている。

きっとそれだけで、今日一日は生き抜ける。
サバイバルって、そういうことだと思う。


▼ほかにも、育休パパとしての日常や「心のサバイバル術」を書いています。
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