📆 育休サバイバル日誌

「“ママはどうしたんですか?”と聞かれた育休パパが感じた、ほんの少しの距離感」

先月、息子の5歳児健診に付き添った。
場所は地域の健康支援センター。
平日の昼間、来ていたのは当然ながら、ほとんどママだった。

というか、体感で言えば8〜9割がママ
パパは僕含めて、ほんの数人。もしかしたら1人か2人かもしれない。

育休父
育休父

「あ〜、やっぱりここはママの世界だな…」


そんなことを思いながら、番号札を握りしめて順番を待っていた。


コミュ力が高ければ輪に入れるのかもしれないけど、
あいにく僕はコミュ障系育休パパ
無言で呼ばれるのを待つだけで精一杯だった。


健診の流れの途中で、ある保健師さんに呼ばれて言われたひと言。

「あれ?今日はママはどうしたんですか?」

とても自然な、何気ないひと言だった。
その時は「またか〜」と思いつつ、

育休父
育休父

「実は今、育休中でして…赤ちゃんと一緒に自宅です」

って、いつものように説明した。


説明すれば、たいてい「えらいですね〜」とか「素敵なお父さんですね」と返ってくる。
ありがたい言葉だ。
でも、どこか虚しさが残る。


だって、ママが来てたら何も言われない。
それが“普通”だから。

パパが来たときだけ、「すごい」って言われるのは、
まだ社会では“パパが育児する”ことが例外扱いなんだっていう証拠みたいに思えてくる。


そして今日。
そのときの保健師さんが、産後訪問で我が家に来てくれた。

「先月は5歳児健診でありがとうございました〜」
お互いに軽く挨拶しながら、
あ、やっぱり覚えられてたのかとちょっとだけ納得した。


僕があの場にいたのは、きっと珍しかったんだろう。
ママばかりの中で、パパが育児の最前線にいる姿って、
まだまだ目立つ存在なんだと思う。


でも正直、目立ちたいわけじゃない。
特別扱いされたいわけでもない。

できればもっと、
「育児する父親」が空気みたいな存在になってほしい。
いてもいなくても驚かれない、そんな存在に。


ただ、やっぱり現実は違う。

赤ちゃんの安心感も、子どもの変化への反応も、
やっぱりママの方が的確で、“当たる”ことが多い。

それが“経験値”なのか“本能”なのかはわからないけど、
父親である自分には、届かない場所がある気がする。


「私ばかりが大変」
そう言われたとき、
こっちの中にはいつも、“言えない気持ち”がある。

「こっちだって、考えてる」
「ちゃんと向き合ってるつもりなんだけどな」
「でも、なんかズレてるんだよな」


育児って、“母親の土俵”なんだなって思うことがある。
パパはその外側から、
「えらいね」とか「助かってるよ」と言われながら、
どこか蚊帳の外に立たされてるような気がする。


家庭の中でも、社会の中でも、
父親の考えって“サブ的なもの”として扱われやすい。

年収の話になると「男の方が多い方がいい」とか言われるけど、
子どもに対する考え方とか、育児方針については、
あまり聞かれないし、通らない。


今、育休中の僕は──
進んでいるのか、立ち止まっているのか、
もしかしたら、後退しているのかもしれない。

でも、そんなふうに悩んでいることすら、
ちゃんと声に出せていない。


だから、こうして書いておこうと思う。

大きな出来事じゃない。
ただの、健診と産後訪問のあいだに起きた、ちょっとしたこと。


でも、
“ちょっとしたこと”の積み重ねが、
父親の育児というものの現在地を表している
ような気がするから。


この距離感が埋まるには、きっとまだ時間がかかる。
それでも僕は今日も、赤ちゃんと、5歳児と、一緒にいる。
この毎日が、自分なりの育児の形だと信じて。

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