🧠 心のサバイバル術 📆 育休サバイバル日誌

赤ちゃんが粉ミルクで全身真っ赤に…アナフィラキシー?育休パパが119した体験談

日曜日の昼、12時30分。
何気ない時間が、一瞬にして「地獄の時間」に変わりました。

最初は、久しぶりのミルクや哺乳瓶に違和感があって機嫌が悪いのかな、程度に思っていました。

ところが、赤ちゃんの顔から頭まで一気に赤みが広がり、
慌てて妻に電話してお腹を確認するようにと言われ見ると、大量の赤い湿疹が。

泣きじゃくる声はどんどん荒くなり、呼吸やむせも加わり、あやしている最中に嘔吐。

透明なヨダレと大量のミルクを吐き出した姿を前に、頭の中に浮かんだのはただ一言――

「親失格だ」

そのあと救急車を呼び、病院にたどり着くまでの時間は、今もまともに思い出せないほど。
振り返ると、それはまさに「地獄の時間」でした。


うちの授乳スタイルは、ずっと母乳中心でした。

新生児期こそ、入院中や妻の体調回復を考えて母乳とミルクの混合でしたが、母乳の出が良かったこと、
そしてハリや乳腺炎のリスクを考えると、ミルクを足す必要はなくなりました。

そこからは、ほとんど完全母乳で過ごしてきました。

だからこそ、あの日の判断はイレギュラーでした。
しかも、その日は妻が久々に友人とランチに出かけていて、家には僕と2人の子どもだけ。

普段は夫婦で赤ちゃんを見ているのに、このときは1人での対応でした。

箱だけ残っていたので「もう中身はない」と思い込み、
仕方なく新しい銘柄の粉ミルクを開けて飲ませるしかないと思ったのです。

缶タイプのミルクはすでに使い切っており、
新生児期に出先用として買ったスティックタイプもとうに在庫がなく、
残っていたのは別のブランドのものでした。

「久々にミルクを使うけれど、80mlくらいなら大丈夫だろう」――そう思って与えたのが、すべての始まりでした。


最初は「久々のミルクや哺乳瓶が嫌なのかな」と思った程度でした。

ところがそのうち、赤ちゃんの顔がみるみる赤くなり、頭まで広がっていきました。

泣きじゃくる声は荒く、呼吸も浅く速い。さらに、透明なヨダレと一緒に大量のミルクを吐き出しました。

僕は一気に血の気が引きました。
「これはただの機嫌じゃない、何かおかしい」――そう直感し、慌てて妻に電話をしました。

電話口で状況を伝えると、「お腹の湿疹も確認して」と言われ、
赤ちゃんの服をめくると、そこにはびっしりと赤い発疹。

思わず「大変なことになっている」と声を震わせながら伝えると、
妻からは「写真を撮っておいたほうがいい」とアドバイスが。

僕は必死に、泣き叫ぶ赤ちゃんをあやしながら、ひとしきり写真を撮ることになりました。

その間も赤ちゃんは顔を真っ赤にして泣き続け、呼吸は荒いまま。

頭の中は真っ白で、ただ「親失格」という言葉がぐるぐる回っていました。


ChatGPTに一連の状況を音声認識で読み込ませたところ、
すぐに受診すべきサインと比較的安心なケースのサジェスト。

すぐに受診すべきサインには、「119か緊急外来に直行してください」とあり、
その中には、湿疹や腫れを伴う、呼吸が苦しそう、突然のアレルギー症状が含まれていました。

赤ちゃんの顔色と呼吸に不安を覚えた僕は、判断に迷いがあったものの、
以前、息子が発作と嘔吐を繰り返した時の手順を思い出し、
すぐに電話をかけ始めました。

まずは #7119(救急安心センター)

状況を伝えると、「小児の緊急外来については #8000 にかけてください」と案内されました。
「ここでは対応できないのか…」という不安が、さらに増していきます。

次に #8000(小児救急電話相談)
オペレーターに事情を話すと、周辺市内で対応している小児緊急外来を3か所紹介されました。
藁にもすがる思いで電話をかけましたが――

  • 1件目:「赤ちゃんのアレルギーは診られない」と断られる。
  • 2件目:同じ理由で診察できないと断られる。
  • 3件目:留守番電話に切り替わり、誰も出ない。

赤ちゃんの呼吸は荒く、泣き叫ぶ声は止まらない。

僕の心臓はバクバクして、指が震えながら電話をかけ続けました。

そのとき、2件目で対応してくれた医院から「市の緊急相談窓口の番号」を教えてもらいました。
すぐに電話をかけましたが、なんとその番号は間違い。繋がらず、ただ時間だけが過ぎていきました。

最後の望みとして、出産した国立病院の診察券裏に書かれた電話番号へ。

けれど自動音声が流れ、「お掛け直しください」の機械的な声。

必死に助けを求めているのに、人間の声にすら届かない。
受話器を持ったまま、全身がガクガク震えていたのを今でも覚えています。

そして、追い打ちをかけるように――。

5歳の長男が「YouTubeで電車が見たい」と言い出し、
さらに「ママどこにいるの?」と電話でやりとりしている僕の話を遮ってきました。

その瞬間、余裕を失っていた僕は、思わず大声で怒鳴ってしまったのです。

「黙ってろ!赤ちゃんが死にそうなのわからないのか!」

泣き叫ぶ赤ちゃんと、混乱する長男、そして焦りで混乱し怒鳴る僕。
あのときのリビングは、まさにカオスで、完全に「地獄の時間」の真っ只中でした。


ついに「119」を押した。

でも、正直そのときの僕は「すぐに救急車が来る」とは思っていなかった。

心の中で浮かんでいたのは、「せめて緊急外来に繋いでくれるんじゃないか」という淡い期待だった。

しかし、電話口で状況を説明すると、オペレーターは迷うことなく救急車を手配。

「すぐに向かいます」と言われたとき、正直「そんなに大げさなことなのか」と現実感が追いつかなかった。

それから5分ほどで救急救命士が到着。
そのころには赤ちゃんの赤みや蕁麻疹はピークから
少しずつ引き始めていて、搬送中も次第に落ち着いてきた。

ところが救急車の中で、救命士からこう言われた。
「○病院は、小児科が強いので、直接○病院に連絡したほうがよかったかもしれません」

診察券にある番号にも電話したこと、でも自動音声で繋がらなかったことを伝えた。

すると返ってきたのは、淡々とした「そうなんですね…」という反応だけ。

「診察かかっているなら緊急の場合くらい知っているでしょ」と責められているような気がして、
胸にずっとモヤモヤが残った。

一方で、別の救命士からは「初めて与えるものは平日日中に」と諭され、これは確かにその通りだと素直に受け止めた。
だからこそ僕は「すみませんでした」と頭を下げたけれど、心の中では「本当にこれでよかったのか」と自問自答が続いていた。

病院に到着し、まもなく緊急の医師の診察。

先生からは“新生児期に大丈夫でも、5〜6か月で突然アレルギーが出ることは珍しくない。

粉ミルクも例外じゃない”と説明されました。

アレルギーを抑える薬は、生後6ヶ月からなので、5ヶ月では出せないので、
経過観察するように言われ、放心状態で帰宅。

外出先から慌てて帰ってきた妻と合流し、お腹を空かせ続けた赤ちゃんの授乳も完了。

一気に我に返った感じでどっと疲れが出ました。


あのとき、僕は余裕を失っていました。

泣き叫ぶ赤ちゃんに加えて、5歳の長男が「YouTubeで電車が見たい」と言い、
さらには電話中に「ママどこにいるの?」と話しかけてきました。

パニックになっていた僕は、思わず大声で怒鳴ってしまったのです。

「黙ってろ!」

長男は小さな声で「はい」と答え、そのままYouTubeを見続けました。

そして「救急車に乗るよ」と伝えたときは「嫌だ」と言っていましたが、渋々ついてきてくれました。

病院から帰宅したあと、僕はそのことをずっと振り返っていました。

あの状況でも、少なからず妹のことを心配してくれていたんじゃないか――そう思うと胸が締め付けられました。

だから僕は長男に「必死で余裕がなくて大きな声を出してごめんね」と謝りました。

すると、長男は「いいよ」と言って、僕にハグをしてくれたのです。
その瞬間、「あぁ、この子はちゃんと理解してくれている」と涙が出そうになりました。


冷静に考えると、僕がとった行動は「模範解答」だったのかどうか、今でもわかりません。

ただひとつ確かなのは――赤ちゃんは死ななかった

それだけはクリアできたと思っています。

医学的にいえば、赤み・呼吸の異常・嘔吐が同時に出た時点で「アナフィラキシー疑い」。

つまり模範解答は迷わず119で、結果的には僕もそこに行き着いた。

焦っていたし余裕はなかったけれど、「守るために動いた」こと自体は間違っていなかったのだと思います。

ただ一方で、強く反省していることもあります。

それは、「ママがいない時こそ安全にいかなければならない」感覚が欠如していたこと。

もしあの日、残っていたミルクに気づいていれば、もし新しい銘柄をいきなり飲ませていなければ――赤ちゃんを危険に晒すことはなかったかもしれません。

「模範解答を選べた部分」と「完全に失敗した部分」。
その両方を抱えて、僕は今もこの体験を振り返り続けています。


最後に、この体験を通して僕が読者の方にどうしても伝えたいことがあります。

まずは、「迷ったら119でいい」ということ。
救急車を呼んで、大事がなければ謝れば済みます。
でも命は、謝っても戻ってきません。
だからこそ、迷ったらためらわずに119を押してください。

そしてもうひとつ、「親は完璧じゃなくていい」ということ。
僕自身、何度も「親失格だ」と自分を責めました。
でも、親のほとんどは医者ではなく、素人です。
だからこそ、完璧を求めても無理だし、完璧でなくていいんです。
大事なのは「守ろうと必死に動けること」。その一点だけです。

最後に、「新しい食べ物や飲み物は安全な条件で試す」こと。
僕は日曜の昼に試してしまいましたが、休日診療は万能ではありません。
特に乳幼児のアレルギーを見られる医師は本当に限られています。
電話で何度も「アレルギーは診られない」と言われたことで痛感しました。
責任逃れではなく、本当に専門的に対応できないのです。

だからこそ、かかりつけ医や小児科にすぐ連絡が取れる平日の日中に、初めての食品やミルクを試すことを強くおすすめします。

すでに始めている離乳食も同じです。少しでも異変が出たら、一旦やめて様子を見ることを学びました。


あの「地獄の2時間」は、僕に深い後悔と同時に、大切な学びを残しました。
この記事が、もし同じように迷ったり不安になったりする親御さんの背中を少しでも押せるなら――
それだけで、あの時間にも意味があったのだと思えます。


最後までお読みいただきありがとうございました。

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